江東フェニックス、一期生の卒部式!12月18日(土)に江東フェニックスの一期生たちの卒部式が盛大に東陽町のホテルで行われた。
江東フェニックスとしては初めての卒部式、いろいろな壁を乗り越えてついに彼らもフェニックスを旅立って行く。私も学童時代から知っている子供たちばかりなので感慨深いものがある。楽しかったこと、辛かったこと、いろいろあったと思うが一つのことを作り上げ、やりとげた達成感は、まさに彼らの財産となるだろう。
卒部生6人とも高校進学後も野球を続けるとのこと、残念ながら中学時代は念願だった都大会出場はならなかったが、高校生になっても日々の練習を大事にして、さらに自分たちの夢に向かって行って欲しい。
「忍耐」
学童時代からフェニックスで学んで欲しかったことだ。是非、このスピリットを心に刻んでおいてくれ。そして、文豪夏目漱石も「真面目とは真剣勝負のこと」と言っているが、この真面目こそが君たちの長所、強みだと思う。高校生になっても決めたことに対して常に真面目に、そして真剣勝負を挑んでくれ。
君たちの今後の健闘と益々の活躍を心より祈念している。
またグラウンドで会うことを楽しみにしているぞ!
栗本コーチの先導で入場する卒部生たち。いよいよ江東フェニックス一期生たちの卒部式のスタートだ。
村松代表が最初に開会のご挨拶。卒部生たちも神妙な顔つきだ。
村田父母会長の音頭で乾杯。卒部生たちもジュースで乾杯だ。みんな随分と立派になった。
塚田監督のご指名で、卒部生たちがそれぞれお礼の言葉を述べる。トップバッターは増間陵太。学童時代からキャッチャーとしてチームを牽引してきたが、このとぼけた感じが何とも言えない柔らかい雰囲気を周囲にかもし出す。
浅川拓実はピッチャーとして、そして外野手としても活躍。学童の時は、通常、兄に連れられて同じチームに入るが、彼の場合は、弟に連れられて東陽フェニックスに入部、そして江東フェニックスへと進んだ。1年生からメッセージとともに記念品を受け取る。
栗本善史は父に感謝の言葉を贈る。手のかからないようで案外手のかかる野球小僧だっただけに(私の印象だが)、父母への感謝の言葉には実感がこもる。ピッチャーとしてタフな活躍を見せた。
こちらも学童時代は、結構手のかかった印象の強い宮崎崇史、母へ心からの感謝の言葉をかけていた。一見ヌーボーとしてはいるが、やる時はやる男だから心配はしていない。男の子はどこかで必ずスイッチが入るものだ。
吉岡憲生は、学童時代に秩父へ転向したが、さらに野性味に磨きをかけフェニックスに帰ってきた。ボールへの対応は素晴らしい。またぶっきらボーに見えるが、心優しい後輩思いのプレーヤーだ。
思うところがあるのだろう、少し涙目のキャプテンの村田周平、苦しいことは腹にしまい込める寛容さを持つ信頼の厚いキャプテンだ。一人で背負い込まなければならない大変なこともあったろうが、「いま、ここ」を大事にして折れそうな心を鼓舞しながら乗り切ってきたように思う。皆がお前に感謝しているよ、そして君も皆を信じていたよね、ありがとう。
メッセージとともに記念品を卒部生たちに贈った1年生。彼らにも卒部生たちのスピリットが深く浸透しているようだ。困った時は先輩に何でも相談せよ。
壇上に上がり卒部生への思いを語る2年生。彼らにも卒部生たちの熱きメッセージが伝わっているようだ。不屈の精神を継承しようぜ。
2年生のメッセージを聞きながら熱い涙を流す卒部生たち。それぞれの思い出が交差するのだろう。
今までサポートしてくれた母に感謝の印の花束を贈る。卒部生たちが高校生になっても早起き、弁当作りと洗濯に、暑さ寒さも省みずの応援、どちらが選手か分からない生活がまだまだ続きます。私の家内によると、高校野球終了とともにやたら暇になるそうですので、お子さんとともに今のうちにメチャクチャ楽しんでください。
キャプテンナンバーの10が村田周平から2年生の前川新キャプテンに受け継がれた。前川新キャプテンには、彼らしいキャラで新しいキャプテンシーを作り出して欲しい。
村田父母会長より村松代表へ記念品のバットが贈呈された。「飛び」で名高いBEYOND MAXだ。これは来年はバッティングで優勝を狙えるか。
衆議院議員の柿沢幹未途さん(みんなの党)も卒部生たちにエールを送ってくれた。
卒部生とともに締めの挨拶をする塚田監督。彼らとの思い出を胸に、来期に向けたチーム作りが始まる。
卒部式の最後は、参加者全員で卒部生たちを送り出す。応援団長の佐久間さんからも卒部生たちにねぎらいの言葉をかけていただいた。
江東フェニックス全員で記念撮影。益々の発展を心よりお祈り申し上げます。
ここからは卒部生たちの思い出のアーカイブスを数枚ご紹介。2005年の関団連朝日旗争奪大会の開会式でのスナップ(千葉マリンスタジアム、2005年4月)。彼らが4年生の時だ。
これは2006年12月に行われた納会の時のスナップ。まだ小学5年生だ。
2008年3月の東陽フェニックスの卒部式。そして江東フェニックスが誕生した。
2008年4月の江東大会開会式で行進する江東フェニックスの選手たち。9人ギリギリだった。塚田監督がまだまだ大きく見える。
2008年5月に撮影。練習用のユニフォームにも初々しさが漂う。彼らが江東フェニックスの歴史を作り上げてきた。